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Color of the Mind

Category : 思うこと・雑感

バリ島リトリート4 滋養を与える

今まで参加したリトリートの中で今回の7泊8日という日程は一番長いものでした。
以前は家のことが気になったり、自分だけが楽しんでいることに少なからず抵抗はあったのですが、今は図太くなったのか(笑)、リトリート中は家のことも気にせずに、たっぷりと満喫できました。

以前、師匠から「自分の経験はオーラフィールドに刻まれる。自分の時間を楽しみ、そこで経験される生きる喜びは、周りの人にもオーラフィールドを通して伝わっていく」と言われていたので、その考えがかなり浸透していたようです。
それは、師匠やディーン先生から素晴らしいヒーリングを受ける度に、受け取ったエネルギーを統合して、自分もヒーリングを通して多くの方と分かち合いたい、橋渡ししていきたいと感じていたので、身体のレベルでも理解していたのかもしれません。


日常から離れて過ごすリトリートは、眠っていた細胞がゆっくりと動きだし、自分を内側から広げてくれます。それは今自分と感じている自分以外の何かがゆっくりと目覚め呼吸を始めたような感覚です。これを時間をかけて統合し、自分のオーラフィールドに新しい色を加えていきたいと思っています。

ウブド 牛


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バンダジェフスキー博士・東京講演会

3月19日、ユーリ・バンダジェフスキー博士の東京での講演会へ行ってきました。

主な内容は、チェルノブイリ原発事故後の放射性物質の人体への影響についてでしたが、ヒーリングの師匠から聞いているものと大まかには同じものだったので、私にとっては前知識があった分、理解しやすかったように思います。

詳細については追って書ければと思っていますが、それ以外で感じたことを少し書くと…、質疑応答で、「放射性物質は身体に摂り込まないのが前提にあるとしても、一日に摂り込んでよい量があるとしたら?」の質問に、「放射性物質は本来あってはならない物質。一日に身体に摂り込んでよい量などはない。譲歩はない。」と、きっぱりと強調していたのが印象的でした。
改めて聞くと、そうだよねと思いますが、○○ベクレルなどと数値が飛び交っている現状に、私たちは少し麻痺してしまっていたのかもしれません。

とは言っても、放射性物質とは隣り合わせの状態。今できることとして話されていたことは、「食品に含まれる放射線量をミニマムにすること」、「年3回の放射線量チェックを受けること(臓器等の健康診断、超音波、心電図等)」。

でもやはり、「放射線量の高い地域は、できるならば避難すること」ではあるようで、「福島はチェルノブイリより危険な状態」とも…。そして、数値の高い箇所は東京も例外ではないようです。
「自分たちの命・健康をまず考えるべき」と話されていました。


私が博士の話の中で、特にエネルギーがこもっていると感じたところは、「自分を日本に招いてくれた木下黄太氏のその活動は大変意味のある重要なものだ」と話されたときでした。もちろん私はロシア語はわからないので、通訳の方を通して後から内容を理解したわけですが、その時の言葉には心を動かされるものがありました。
博士は、「日本に行かないように圧力がかかったけれど、私は訪日した」と言っていたことからも、今の日本の放射性物質の影響を心から憂慮していることが汲み取れます。
また、博士自身も被曝していると何かに書いてありましたが、被曝している身体でこの時期の日本への来日は大変なことだと思います。
これらのことから博士の温かい人間性と、放射線被曝を阻止したいという熱意を感じました。

貴重な講演会に行くことができてよかっと思うと同時に、この講演会で得られたものをしっかりとヒーリングに活かして行きたいと思っています。



今できること

今回の東北地方太平洋沖地震、皆様大丈夫でしたでしょうか。

被災地の皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。
犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

地震発生からちょうど1週間が経ちました。

被災地で過ごしていらっしゃる方々に一刻も早く、救助の手・救援物資等が届きますように。安心して暖かく過ごせる環境が整いますように。

また、福島第1原発で作業をしてくださっている方々の安全を心よりお祈りいたします。

今、ここにいて自分ができること、それをしっかりとやっていきたいと思っています。
その思い・行動が、被災地の方々と、救助に携わっている方々と、必ずどこかで繋がっていくことを信じて。

“母”という存在

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夫の祖母は97歳で一人暮らしをしているほど元気な人ですが、夏の暑さのせいか10月初めに体調を崩し入院。高齢なので、叔父や叔母が駆けつけたり、義父も「何があってもおかしくない年齢」とは言っていましたが、先日無事に退院、一安心です。

その間、用事で父に会ったときに話をしたら、「97歳だったら、(生きていたら)死んだ婆さん(父の母のこと)と同い年だな」と一言。
祖母が亡くなってから15年位たつのですが、父にとって、祖母の年齢は亡くなった年齢で止まることなく、ずっと重ね続けられていたことを知り、ちょっとじ~んときました。

そしてまた別の日。今度は母と母方のお墓参りに行ったときのこと。
母は2歳のときに母を亡くしているので、母親の記憶は全くないとのこと。なので滅多に母から話を聞いたことはなく、この日もぽそっと「覚えてないのよねぇ」と言っていたのが印象的でした。

あたりまえだけれど、誰にとっても“母”という存在がいること。
“母”に対する思いは人それぞれ違うと思うけれど、“特別な存在”だと思う…。みんな、“お母さん”から産まれてくること、あたりまえだけど、なんだかちょっと考え深い。。。

そして、私にとっての“母”という存在の他に、父にとっての“母”、母にとっての“母”への思いが、私の中のどこかに受け継がれているような気がして、脈々とした繋がりを感じたこの頃でした。


夏休み(子どもの頃)

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今年の夏は、暑い日が続いていますね。
いつの頃からか手放しで暑い夏を喜ぶことは少なくなりましたが、子どもの頃は、汗だくになろうが、日焼けしようが、おかまいなしで、休みになる夏は大好きでした。

私が通っていた小学校では、夏休みのプール教室があったので、毎年、ほぼ皆勤賞なみにプールに通っていました。最低、二回は皮が剥けていたでしょうか。

学校のプールがない日には、区営プールに行っていました。あの頃のほとんどの家庭には扇風機しかない時代なので、とにかく涼を求めてのプール三昧でした。
その区営プールの出入口に屋台のおでんやさんがいたのですが、たぶん、プール代とバス代、おやつ代をもらって行っていたんだと思います。帰りに1本だけ買って食べるのが楽しみでした。

ある日、友だちと二人でプールに行き、たしか友だちはおやつ代をもっていなかったんだと思います。だけど、食べよう!ということになって二人でおでんを食べ、バス代がなくなり、1時間くらいかけて歩いて帰ったことがあります。
家に着く頃には、辺りはすっかり暗くなっていて、案の定、母にはひどく叱られました。

おでんを我慢してバスで帰ることをしなかったのは、おでんがすご~く食べたかったというよりも、いつもとちょっと違うことをしてみたかったからなのかもしれません。

それはちょっとした小さな冒険だったように思います。
距離があるのに歩いて帰ることにワクワクして、そのうちに、なかなかたどり着かず暗くなってきたことに、心細く不安にはなったけれど、そして母に叱られることはわかっていたけれども、なぜかおもしろかったのです。
こういったちょっとした冒険のようなことが、子どもの頃はいろいろありました。
それがちょっとづつ自分の世界を広げていくことなのかもしれません。
もちろん、いいことも悪いことも含めて。。。

私が子どもだった頃とは違って、いつの頃からか子どもを狙った事件が多くなってしまったので、子どもたちは小さな冒険をすることが難しくなっているのかもしれません。ゲームの中の冒険に夢中になるのもわかるような気がします。


プロフィール

Author:Tanaka Mika
ハンズオン・ヒーリング、関係性エネルギー・ヒーリングのセッションをおこなっています。

木漏れ日の中での昼寝と、空の移り変わる色を見ることが至福の時間。

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